まるまる二週間の放置でした。正直、このままフェードアウトしてしまおうと思っていましたが、今日ぐらいは書いておかないとダメかな、と思いまして・・・。というかそもそもはてなにて日記を書き始めた一つの要因が飯田さんのディナーショーだったわけで、それがなければここまで書いていなかったかもしれないということもあり、そこらへんの区切りもつけるためには書いておかねばならないのかな、と。
・・・とは言うものの苦行バスツアーは参加したもののそのあとの記念隊ツアーは結局1公演も見ていない状態で波に乗れていないことは明らかなので、書くことがないのです。それでも本日が飯田さんの産休前の最後の活動なので、飯田さんについての総括でもしようかな。おそらく飯田さんが戻ってくるときは自分はヲタをやっていないような気がするので・・・。
そもそも自分がいつから飯田さんのファンになったか、あたりが自分にもはっきりとしておらず今日はそこから紐解いていきましょう(続けるつもりなのか?)おそらく飯田さんを意識し始めたのはタンポポの活動を始めたあたりからだったような気がします。もう少し正確に言うと「聖なる鐘がひびく夜」あたりぐらいからかな?それまではもちろんその存在は知っていたし、活躍も見ていましたがどちらかというと他の人を見ていたような気がします。現にそれ以前はタンポポの中では矢口さん派でしたし。飯田さんの何が良かったというより「タンポポ」という存在というか楽曲が自分の中では良かったんでしょうね。それと、だいたい自分が好きになるアイドルっていうのはどちらかというと二番手ポジションあたりにいる人だったりするので、それも要因の一つではあったのかも。とはいえ表立って「飯田さん推し」を宣言するでもなくいつものようにDD活動にいそしんでいたわけですが、「タンポポの中では飯田さんが一番」ということはぶれませんでした(まぁ4人しかいませんから・・・)。タンポポの中では一番でもこれが娘。の中となるとまた状況が少し違ったりしていました。中澤さんよりリーダー職を引き継ぎ裏方にまわってしまいそのポテンシャルを十二分に発揮できていなかったことによるものと思われます。本人も本意ではない扱いを受けていた時代でしょうからそれはそれで致し方ないところでしょう。
で、本格的に「おっ!?」と思ったのがソロでアルバムを出したとき。「原語のままカバーしています」という言葉がにわかに信じられず、半信半疑でアルバムを予約して買い、そして聴いたときのあの衝撃たるや、今でも忘れません。そもそも「飯田圭織」というソロの名義でアルバムを出すこと自体信じておらず手元に来るまで同姓同名の人のアルバムと思っていたぐらいですから。若干落ちてき始めたかな?という時代であったとはいえまだまだ国民的アイドルな娘。さんのメンバーのソロアルバムなのにプロモーション活動はほぼなく、ましてや歌番組に出られるような体裁ではなかったので、そう思うのも仕方なかったと思います。そこから日本語でのシングルを出してそれの発売イベント握手会がある辺りが第一ロケット点火ポイント。
では第二ポイントはというと卒業決定→卒業後の断髪というこれまた衝撃的な出来事あたりです。やはり節目なところはキラキラ輝くんですよね。そして卒業後初のお仕事で見せたその姿は度肝を抜かされました。飯田さん=ロングヘアーだったのに、そのシンボルともいえる髪をあそこまでバッサリ短くしてしまうとは・・・。驚き意外何も出てきませんでした。ショート好きにしてみればキャワスという感想もありましたが(笑)でも、あれが最初で最後のショートヘアーだったんだよな〜。
そしてメインエンジンが点火したのがディナーショーです。あの当時はいくら食事つきとはいえ1公演12,000なんてどこまで搾取すれば気がすむんだ!と思っていましたが、今思えば温かったんだな、と(苦笑)なんだかんだで、飯田さんの公演は8公演も行っています。ここまで行くとも思わなかったしここまで続くとも思わなかったし・・・。今回数を再確認するためにポラの枚数を数えていたのですが、見ていたら思わずホロッときてしまいそうになりました。これを書いている今のBGMがタイミング良くSNAILRAMPの「HOTARU NO HIKARI」が流れてきたもんだから余計に。
なんだか冗談抜きにポラの写真を見て改めて飯田さんに思いを馳せると「飯田さんにとっての自分って・・・」とか思ってしまいました。別に自分を特別に思っていてくれていたとか思ってくれているとかは微塵もないのですが、自分たちみたいなファンとのイベントや交流とかで仕事とはまた別に「楽しかった」とか「元気をもらえた」とかポジティブな感情を抱いてくれていたのかな、なんて今更思ったりしてしまいました。そりゃ口ではそういうことを言ったりしていましたが、本音ではどうだったのだろうと。当然その真相は知る由もありませんが、ちょっとでも自分が参加したイベントなどでそんなことを思ってくれたことがあるなら、それはそれで今まで応援してきた甲斐があったと思うし、産休中にもその一つ一つを思い出して元気になってくれたらいいな〜とか思ってしまいました。
おっと、今回はこんな感情論は書くまいと思っていたのですが・・・。まぁいいか。
とにかく飯田さんには最後札幌の地で「さようなら」も「またね」も言えませんでしたが、今いえることはひたすらに「ありがとう」という言葉のみです。そして無事に元気な子供を産んでください、と。飯田さんの心の中でモーニング娘。で過ごした年月、そしてソロになって過ごした年月の思い出がキラキラといい思い出ならきっと自分の中の思いでもそれと同じだと思います。
自分の中に一区切りはついたことにホッとしていますが、それより何よりハロプロはもとより飯田さんを嫌いにならずにこの日を迎えられたことにホッとしております。自分の今まで生きてきた人生の中で一つでも欠けてはいけないパーツの一つであり、飯田さんとの出会いがなければ今の自分もなかったし、この長い中身のない文章を読んでくれている人もいなかったわけであって・・・。なんかだ脱線&難しい話になりそうなのでこれ以上は止めておきますが、とにもかくにも「飯田圭織さん、ありがとうございました。じゃあね。」



さ、明日はメロンライブ(昼・夜)だ(笑)